番犬

 わんわん吠える。今日の番犬としての役目は終了。すぐさま犬小屋に戻る。徒歩二秒。くさりが僕の行動範囲をせばめている。しかし番犬の仕事のあとはプライベートな時間。小屋のなかで文章を書く。飼い主は知らない。これは僕だけの秘密だ。
 僕の飼い主は狂った人間である。人小屋に住んで僕に芸を教えている。しかし僕はお手よりも、おかわりよりも、文章を書くことが好きだ。未来の文学は犬が切り開く。人類には期待できない。人類はケチくさい。ほんとうに、ケチくさいよ。からだの守銭奴、こころの守銭奴。
 夏目漱石の正体は猫だった。処女作であからさまに暴露している。『吾輩は猫である』とは、ずいぶんストレートな告白文学だ。しかし漱石の告白は、あろうことか、擬人化の三文字で片付けられた。人間が猫のふりをして書いたというのが、文壇の総意のようである。
 そして、一作目で自己の正体を暴露した哀れな猫としての漱石は、人間のことを知ろうとした。漱石にとって、人間は永遠の謎だった。その後の漱石の作品は、猫が人間になろうとして泥沼に沈んでゆく悲痛な記録である。僕は涙なしに読むことができない。

上田啓太

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